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Lamb. 02

出会いは高校時代であった。
当時、人気を博していた恋愛番組、だんがん紅鮭団。無作為に集められた超高校級の面々が、ひとところに集められて、なぜかカップル成立まで閉じ込められる。世間に恋愛番組は数あれど、「超高校級」という特殊な肩書を持つ彼らが織り成す生活は、恋愛でなくとも一般市民の興味をそそった。絶対数が限られているため、そう多くは開催されなかったが、どの回も記録的なヒットを残していた。
彼とはそこでカップルになり卒業した――わけではなく、彼は彼女と結ばれ、卒業した。

始まった当初から、二人は惹かれあっていたようで、たいした障害もなかったようだ。はたから、ちょっかいをかけながら観察していたが、たまに可愛らしい喧嘩などをしつつ、順調に絆を深めていっていた。
そのままの流れで、卒業後も付き合い続け、成人を迎えて少ししたあたりでゴールイン。なんとも、絵に描いたような成功事例である。

彼と再会したのは、本当に偶然のことだった。
あのとき出会いさえしなければ、ただの青春の一ページで済んでいた、かもしれない。
今はもう、詮無きことだけれど。




「あれ?」

呼び止めたのは、彼からだった。雑踏の中、あのとき着ていたような真っ白い服でもない自分を、まさか呼び止められるだなんて思ってもみなかった。本気で驚いてしまったことに軽い屈辱を感じつつも、それをまったく気取らせない顔で笑いかけた。

「偶然だね!ていうか久しぶり?30年ぶりだっけ?」
「そんな経ってないだろ。7年……8年くらいじゃないかな?」

覚えている。8年と4ヶ月ぶりだ。あの頃は夏だったから、今ほど寒くなかった。
彼は両手に荷物を抱えていた。ケーキらしき箱と、可愛らしい紙袋。一見して、誰かへのプレゼントだとわかった。

「大荷物だね。手伝ってあげようか?」
「え……あ、ありがとう。でも大丈夫だよ。もう帰るところだし」

以前の印象が強かったのであろう、からかうこともなく紳士的な申し出をすると、拍子抜けした顔で彼は断った。今、近くに住んでいるんだ。と、寒さに鼻の頭を少し赤くした彼が言う。

「キミもこのあたりに住んでるの?」
「いやだなぁ、オレがそう簡単に居場所を吐くと思ってるの?このあたりだよ」
「変わらないね、そのかんじは……」

ふふ、と彼が目を細めると、長い睫毛が揺れる。
せっかくだから、と彼がスマートフォンを取り出し、差し出してきた。連絡先を交換しろ、というわけである。

「キミが卒業のときに教えてくれた連絡先、ぜんぜん繋がらないんだもん。調べても、すぐに変わっちゃうし」
「オレくらいになると、いろいろと大変なんだよねー」

これもすぐ変えちゃうだろうけど、と思いながら、おとなしく交換に応じる。
自分でも理解が出来ていないが、どうも、彼に会えたことを喜んでいる。久しくなかった、気分の高揚を感じている。
彼も彼女も有名なので、情報収集などせずとも近況はそこそこ知っていた。なので、会おうと思えば会えたし、連絡先を交換する必要性も感じていなかった。のだが。
差し出された手を拒むことが出来なかった。

「今度うちに遊びに来てよ」
「……ま、気が向いたらね」

笑った彼の左手には、銀色の指輪が輝いていた。




計算を狂わせる「感情」というものは、嫌いだ。だから自身の精神を揺さぶるようなこと・人は、極力避けて生きてきた。
感情なんていうものは、相手を手玉に取るときに利用するものでしかない。つまり、自身には不要でしかない。
むろん、悲しいよりは嬉しい方が良いし、寂しいよりは楽しい方が良い。だが、そのことだけに囚われることは、出来なかった。

だから、本当は、このメッセージを無視してすぐさま削除しなければならない。

「……」

青白くディスプレイが光り、一行のメッセージを映し出す。
『さっそくだけど、明日、遊びに来ない?』
明日は、世間で言うところのクリスマス・イヴ。そんな日にデートのお誘いが来る、はたして吉と出るか凶と出るか?

けれど、乗らない選択肢なんて、今さらもうどこにも無い。




「やっほー!なんと手土産まで持参して来てあげたよ!感謝してひれ伏し崇め奉ってよねー!」
「あ、いらっしゃい。わあ、ここのシャンパンおいしいよね。ありがとう」

軽口をさらりと流し、彼が出迎える。
予測される世帯収入を考えると、いくぶんかこじんまりとした印象を受ける一軒家だった。だが、およそ一般家庭ではありえない設備の防音室が地下に作られていることを聞き、費用はすべてそこに集約されたのだと知る。

「ていうか、奥さんは?」
「ああ……今日からツアーだよ。しばらく居ないんだ」

だから気にしなくていいよ、と、彼は笑った。違和感を覚える。
自分の存在を話していないのか?話題に出せば、きっと彼女の性格上、会いたいと言い出していただろう。今日から居ない、と言っても、昨日は夕食をゆっくり自宅で取っていたのだから、そう早い出発でもなかったはずだ。出発前に一言あいさつするくらいは出来たはずである。
一瞬の怪訝な顔を、彼は見逃さなかった。苦笑して、付け加える。

「あいかわらずだね。なんだか嬉しいよ」
「……そういうキミは、ちょっと変わったみたいだね」

困ったように笑う。その様子に、いつもの軽口で答えることが出来ない。

「キミに隠し事をしても仕方がないから……隠さないよ」

白く、男にしては細い指が伸びてくる。昔の彼であれば、自分から他人へ手を伸ばすことなど滅多に無かった。対人恐怖症に近いトラウマは、克服されたのだろうか。
する、と妖艶に指が絡められる。いったいどこでそんな仕草を覚えてきたのか。いや、天然に違いない。誰から習うでもなく、そういう所作が出来る男だ。
彼の望むことが読み取れ、逡巡する。乗せられるのはいけ好かない。だが、その手を振り払うほどには至らない。
動かないでいることを同意と取り、彼が身を寄せた。

「まずは、シャンパンでも飲もうか」




理由の推測は出来る。
世界的ピアニストの彼女は、全国を飛び回ることが多い。どちらかといえば地域密着型の仕事である彼とは、スケジュールが合わないことも多々あるだろう。
彼女によって正常な感情を取り戻した彼は、喜びと同時に喪失感も得たに違いない。一度知ってしまったものの空けた穴は大きく、埋め合わせ方がわからないのだろう。しかし、女性と浮気をするのも気が引ける。
他の友人たちを誘ったりもしただろう。それでも各自にそれぞれ生活があり、いつでもどこでも会えるというわけではない。まして知り合いは、一ヶ所に留まることの方が少ない人間か、あるいは真逆で一ヶ所から外出しない人間かの二択ばかりだ。

ちょうどよかったのだろう。
誰でもよかったのだろう。

きっと、その選択に、意味など無い。

***

「王馬くんはコンサートって見に行ったことある?」
「……人並み程度には」

不意に遠い目をして言う最原に、眉をひそめた王馬が簡潔に答える。
じゃあ説明しなくてもわかると思うけど、と前置きし、彼はため息をつきながら語った。

「僕は、はじめて赤松さんのコンサートを観たとき、とても感動したんだ。ああ、人の心を動かす演奏というのは、こういうものをいうのかって。楽しそうに演奏する赤松さんを観て、とても満たされた心地がした」
「…………」
「毎回、通ったよ。さいわい、関係者用の席をいつも用意してくれていたから、都合さえ付ければ必ず観ることが出来た。だからその日も、急いで書類整理を終わらせて、いつもの特等席に座った」

長い睫毛が頬に影を落とす。

「その日も、赤松さんは絶好調だった。いつも通り、楽しそうに、ピアノを弾いていた。僕はそれを喜んで観て、聴いていた。そのとき、までは」

続きの予想は付きつつも、王馬は黙って彼の独白を聞く。
誰にも、言えなかったことなのだろう。赤松本人にさえも。

「セッション、って、言うのかな?赤松さん以外の演奏者が出てきたんだ。僕は疎いから、それが誰なのか知らなかったけど、会場が歓声で沸いたから、きっと有名な人だったんだろう。赤松さんとセッションできるくらいだ、実力も十二分にあるんだろう」

最原の白く細い指が、マグカップの取っ手をもてあそぶ。
王馬はなんとなくそれを見ていた。

「ヴァイオリンとのセッションだった。ピアノだけとはまた違っていた。はじめは、こういうのもあるのか、すごいな、くらいしか思わなかった。でも、曲が佳境に向かうにつれて」

そのときの熱量を思い出しているのだろう。まるで目の前でその演奏が行われているかのように、最原の目が窓から離れない。指は、マグカップに掛かったままだ。

「明らかに、演奏の質が、いつも以上に良くなっているのがわかった。素人目にも、明らかなぐらいに。彼らは、目配せをしながら、違う方を向きながら、それでも音だけは完璧に揃えて、とても気持ち良さそうに、演奏していた」
「…………」
「おそらく、当時、聞いていたなかで一番の演奏を、赤松さんは終えた」
「……最原ちゃん」
「その」
「最原ちゃん、もういいよ」

つらそうに歪む顔を見ていられなくて、王馬が初めて口を挟む。自分がこの顔を引き出したのならまだしも、他者から与えられたとあっては一刻も早く改善させたい。
しかし、最原はかぶりを振った。黒髪がさらさらと揺れる。

「いや、言わせてほしい。言わせてくれ」

懇願に近い声に、王馬はそれ以上なにも言えなかった。
きっと、儀式のようなものなのだ。彼にとって、これは、必要な作業なのだろう。
ならば、神父役を一度引き受けた王馬は、最後まで付き合うよりほかない。

「彼らはあの瞬間、おそらく、どんな肉体的快楽をも超越した次元に居た。それはとても、僕では辿り着けない場所だ」

それが最原にとってどのような絶望だったか、推し量るにも忍びない。自分に置き換えて身震いする。最原が芸術家でなくて良かったと心から思った。
少し間を空けて、最原がふっと肩から力を抜いた。ソファに座った膝の上で手を組み、うつむく。長い前髪で表情がわからなくなった。

「……ほんとうに、身勝手な話だと思う。どんなに罵られようと、反論する余地がない」

かなり自分に厳しい判定だとは思うが、彼はそれを望んでいるのだろう。あえて王馬は何も言わなかった。ただじっと彼の、見えない表情を見つめていた。

「そのときから、自分でもびっくりするほど、熱がなくなってしまったんだ」

聡い彼女はすぐさま変化に気づいた。だが、最原が口を割ることはなかった。
表面上は仲睦まじく、何も変わらない、絵に描いたような幸せな夫婦。その実、夫の心には暗く深く影が落ちていた。妻はそれを知りながら、しかしどうすることも出来ず、ただ、時間だけが過ぎていった。
時間が解決してくれるかも、と思ったこともあったんだ。と、最原は言った。

「でも、考えが甘かった。解決どころか、むしろ、悪化していくようで」

そのたびに、ごまかすようにイベントごとを楽しんだ。クリスマスにはケーキを買い、チキンを用意し、ツリーを飾り付け、祝う。お互いの誕生日には最高のプレゼントを。結婚記念日には夜景のきれいなホテルでディナー。コンサートのたびに違う花を贈り、遠征中はメールや電話で連絡を取り合った。
だが、どれもが空虚で、終わった後には疲労感だけが残っていた。まるですべてが心を通り過ぎていっているかのようだった。
砂の城を作っては、波がそれをさらっていく。賽の河原のような、無益な行為。しかし、赤松も最原も、今さらそれをやめるわけにはいかなかった。そうするにはお互いを愛しすぎていた。だが、お互いの心には流しきれない砂が積み重なり、滞留していった。

「……そんなときだったんだ。王馬君に出会ったのは」

突然、最原の顔が上がり、その視線を真正面から受け止めた王馬はどきりとする。あくまで内面の話であり、表面上はおくびにも出さなかったが。

「正直……申し訳ないと、今でも、思っている。そして、感謝もしている」

何に。この現状に。

「でも、キミなら……キミになら、頼れるだろうかと……」

気まずそうに、ふっと目をそらした。王馬は自身の心臓が大きく脈打つのを感じていた。
「キミになら」?最原は確かにそう言った。続きを。続きを紡がせなければならない。

「どういう意味?」

ようやく絞り出したのは、何の面白みもない催促の言葉。
最原がもう一度顔を上げ、王馬を見る。笑みを消し、自分を見ている彼を確認して、一呼吸おいてから口を開いた。

「高校の時」
「は?」

唐突に話がタイムスリップしたので、思わず王馬が眉をひそめる。その様子に少しだけ緊張を解いた最原は、薄く微笑んだ。

「高校の時を思い出したんだ。キミに再会したときに」





だんがん紅鮭団。超高校級の男女を、密室もとい閉鎖空間へ押し込め、恋愛模様を楽しむバラエティ。赤松も最原も王馬も、そのメンバーに選ばれていた。
偶然の出会いから、赤松と最原は初めからお互いを意識していた。そのまま、卒業までいくことはひどく自然な流れだった。
しかし、長い期間、二人で過ごすだけではもちろん無い。赤松は特に、人見知りをせず物怖じをせず、困りごとに首を突っ込む性質であったので、なおさら、最原以外との交流も多かった。
対して、最原は、人嫌いというほどではないが、自ら積極的に交流を楽しむタイプではなかった。知的好奇心に負けて距離を詰めることはあったが、本を読んでいればその衝動も多少は抑えられた。

その日も、図書室で時間をつぶしていた。めずらしい人影。白い服に身を包み、いつも笑みをたたえている、超高校級の総統。
総統とはいったい何をするのだ、と、存在自体が謎だらけの、探求心をくすぐる塊のような人間だった。王馬自身、本心を悟らせない巧みな話術もあいまって、謎めいた存在感はいっそう強まっていた。
そんな彼が向こうから自分のテリトリーへ飛び込んできたことに、最原はいささか驚く。
図書室に通い詰めているせいで、図書室=最原に会える場所、と、たいていのメンバーから認識されていた。

「やっほー最原ちゃん。今日は何を読んでるの?」
「筒井康隆」
「そういうのも読むんだ」

推理小説が好きなことは確かだが、SFなども嗜む。最原は、本を開いたままで答えた。
とことこと近づいてきた王馬が、隣に腰掛ける。こてん、と肩に頭を置き、本を覗き込んだ。

「残像に口紅を」
「……よくわかったね」

少し覗き込んだだけで本のタイトルを言い当てた王馬に、最原が目を丸くする。気をよくした王馬がふふんと笑った。

「ね、少しオレとお話しようよ」
「いいけど……」

本にしおりを挟み、最原が顔を上げる。目の前には満足げに微笑んだ王馬の顔があった。

「赤松ちゃんとはうまくいってる?」

直球な問いかけに、最原がむせる。さらに上機嫌な王馬が言葉を続けた。

「王道一直線~~~ってかんじだよね。赤松ちゃんは交友関係が広いけど、無意識にか線引きはしてるみたいだし。最原ちゃんも満更じゃないんでしょ?」
「……、まあ、そうだね」

執拗に隠しても仕方がないので、最原は熱くなった頬を自覚しながら頷く。

「ふ~~~~ん。で?卒業後はどうするの?」
「え?」

心底、何言ってるの?といった様子の最原に、王馬が苦笑いをする。

「いやいや。付き合って終わりじゃないからね?」
「え、ああ……そう、だね」
「ちょっとちょっと、だいじょぶ?」

予想以上にひどい最原の反応に、王馬が本気で心配になって彼の頬をつつく。頬をぷにぷに指で押されながら、最原があわてて答えた。

「だ、大丈夫だよ……!えっと、その、告白の言葉はもう考えてある」
「オレが言ってるのはそのあとのことだっつーの」
「……」
「最原ちゃんって付き合うの初めて?」
「……ちゃんと、は」

はじめて……と、消え入りそうな声が聞こえてくる。特に恥ずべきことでもないが、なんとなく咎められているような気がした。
べつに怒ってないよ、と王馬がひょうひょうと言う。なぜか教師に叱られている生徒のようになってしまった最原に、どう言ったもんかと言葉を探す。

「ここを出たら、まず、何がしたい?」
「え……」
「なんでもいいよ。映画が観たいだとか、あの店に行きたいだとか」

王馬の質問に、最原はしばし思案する。

「近くの本屋に行きたいかな。取り寄せてもらった本を、まだ受け取りに行っていない」
「なるほどね。ほかは?」
「あとは……そうだな。おじさんに、おいしいコーヒー豆を買っていく約束をしていたんだ。それを買いに行きたい」
「ふむふむ。あとは?」
「んー……コートをクリーニングに出したい」
「一気に所帯じみたね」
「コーヒーこぼしたままなんだ」
「それは一刻も早く行くべきだね」
「前に猫を見つけた飼い主さんから、お礼の手紙が届いていたから、返事を出しに行きたい」
「まずは便せんを用意だね」
「それと……本棚に収まりきらなくなってきたから、新しい棚が欲しい」
「電子にすれば?」
「味気ないから嫌だ」

すげなく最原が断る。
さて、と王馬が一拍間を置いて、口を開いた。

「その隣に赤松ちゃんは居ましたか?」

ビク、と最原の身体が揺れた。

「……」

最原の顔が蒼白になる。王馬はそれを眺めたまま動かない。
その反応それ自体が回答のようなものだが、あえて、何も突っ込まなかった。

「……あ、」

すがるような眼で、最原が王馬を見る。

「罪悪感を覚えることでもないとおもうけど」

なぐさめるでもなく、本心から王馬が言う。少しだけ最原の肩から力が抜けた。

「ただ、先のことは考えた方がいい。お互いのためにね」
「……うん……、ありがとう」

素直にお礼を言う最原に、王馬は、少し意地悪がしたくなった。
とんとん、と肩を叩き、彼の顔を上げさせる。最原は座っていて、王馬は立っていた。自然、見上げる格好になる。

薄く開かれた唇に、キスを落とした。
触れるだけ。羽のような軽いキスに、最原は一瞬なにが起こったのかわからず、静止する。
そっと顔を離した王馬が、にししと笑った。

「少ない脳みそフル回転させて、よーく考えることだね」
「……キミってやつは……」

感謝したし、少し尊敬すらしたのに。唇を手で押さえた最原が、恨みがましそうに言う。
あはは、と王馬は笑った。

「じゃあね、最原ちゃん。また、今度」
「……」

今度、は、訪れなかった。
そして最原は赤松と卒業した。
風のうわさで、彼らが結婚したことを王馬が耳にしたのは、それから数年後のことだった。





「あのときのこと、思い出して」

ちなみに僕あれが初めてだったから、と、最原がじろりと王馬を見やる。ふぅん、と王馬はにやつく顔を諫めつつ応えた。

「その日、一晩、ずっと考えていた。そして、キミに会わずにはいられなかった」

すぐさま誘いが来たのは、そういうわけだったのだ。
なるほど、王馬が気まぐれに行っていた高校時代の行動は、少なからず最原へ影響を与えていた。そのことがひどく王馬を高揚させる。

「身勝手な話だけど、キミに答えを求めたんだ」

むろん、その答えは彼ら二人の中にしか存在しない。王馬の中にあるはずもない。
それでも、すがらずにはいられないほど、彼は消耗していたのだろう。まさに、藁にも縋る、だ。
想像以上にキミは優しくて、と、最原は続けた。

「砂糖菓子のような時間を、手放すことが出来なかった。だめだと、わかっているのに」

いっしょに映画を観て、ワインを飲みながら感想を言い合う。
いっしょにお風呂へ入って、シーツの上で裸でじゃれ合う。
そのすべての時間が心地よく、すべての行為が快感だった。ずっとなくしていたパズルのピースをはめてもらったように、ずっとずっと足りないと思っていたものが満たされていた。

だが、それは卑怯な行為だ。最原は、もし本当に望むなら、今ある生活を清算したあとで、その時間を得るべきだった。
しかし、そうするには、彼女への情が強すぎた。

「いいんだよ。オレもわかった上で付き合ってるんだし」

最原一人のせいではないと、王馬が答える。最原がかぶりを振った。

「これ以上は甘えられない」
「……」

濡れ羽色の瞳が王馬をとらえる。決心した目だった。おそらく、何を言っても気を変えることは出来ないだろう。

「最原ちゃんの人生だし、キミのいいようにしたらいいとは思うけど。どう考えても、現状維持がおいしいと思うよ?赤松ちゃんだって、黙認してくれてるんだし」
「だから、だよ。僕は、王馬くんにも楓にも、甘やかされすぎだ」

困ったように、最原が笑った。嬉しそうにも見えた。きれいだな、と王馬が思う。

「終わりにしよう」

少しだけ開けた窓から、ふんわりと風が吹き込んだ。初夏のにおいがした。

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